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サイト閉鎖のお知らせ

諸般の事情により、2021年5月末日をもちまして「チャンスクリエーター」を閉鎖させていただきます。
これまでのご愛顧に対しまして、スタッフ一同、深く感謝するとともに心より御礼申しあげます。

長らくのご愛顧誠にありがとうございました。

「受援力」―助けを求め、開く道。-国立保健医療科学院 生涯健康研究部 主任研究官/吉田穂波さん

「受援力」―助けを求め、開く道。-国立保健医療科学院 生涯健康研究部 主任研究官/吉田穂波さん
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国立保健医療科学院で災害時の母子保健システムの研究に従事する産婦人科医、吉田穂波さん。臨床現場へのこだわりと、子育てとの両立のジレンマからハーバード大学への子連れ留学を実現させる。ハーバード留学の中で学んだことは「受援力」。助けを求めることの重要性を、シビアな異国の地で痛いほど感じた。「時間がないからこそできる」という信念のもと、育児と仕事、留学を実現させた吉田さんにお話を聞いた。

国立保健医療科学院 生涯健康研究部 主任研究官/吉田穂波さん

国立保健医療科学院 生涯健康研究部 主任研究官/吉田穂波さん

将来のキャリアビジョンよりも、今やりたいこと。

―産婦人科医の道を志したきっかけは何だったのでしょうか?

私の9歳下の弟は950グラムで産まれました。当時は1500グラム以下で産まれると諦める時代でした。半年以上NICUに入りましたが、今では元気に過ごしています。当時毎日のように病院にお見舞いに行って感じたのは、産まれたばかりの小さな命が育っていることへの感動。この時の気持ちが産婦人科医の原点だと思います。大学の医学部に入学した後も、お産の実習が一番楽しかったことを覚えています。女性である自分に重ね、親和性もありました。一方で、私が入学した1992年当時、女子の医学生は全体の2割程度で教授も男性ばかり。医師としての女性のキャリアパスとして思いつくものは、麻酔科や眼科、皮膚科など、いわゆる医者の王道と言われるものとは離れていました。ゆくゆくは結婚して出産する女性が医者になってどうするんだろうね、という感じです。ましてや産婦人科など男性にも敬遠されるハードな道に進む女性などほとんどいませんでした。元来の負けず嫌いの性格に、「やってみたいことにチャレンジしよう」という強い気持ちも加わり、将来のキャリアなど打算的な考えは度外視して産婦人科医の道へ進みました。

臨床への執着と育児との両立のジレンマ。

―お子さんを出産されてからもハードな臨床現場での勤務を続けたのでしょうか?

そうですね。第1子は30歳の時にドイツで出産し、帰国後は女性総合外来のクリニックに勤務しました。女性総合外来では患者のバッググラウンドを含めて診ることで、女性の体と心にトータルで向き合います。その後、第2子も誕生しました。

ただ、子どもを育てながら働く以上、残業はできないし夜のカンファレンスにも出られない。「子どもがいると無理でしょ」と言われることもあり、悔しい想いを抱えながら仕事をしていた時期でもありました。私は臨床現場で患者に向き合うことに医師としてのやりがいを感じていたので、現場にいる時間が限られるということは自分が理想とするベストな状態とはかけ離れていると感じてしまっていたのです。また、子どもが体調を崩して休むと、しわ寄せが独身の医師たちに行ってしまうことにも心苦しさを感じていました。子どもと患者の板挟みになり、家族と患者がライバル関係でいいはずがない、現場でなくても貢献できるスキルを身に付けようという気持ちと、自分なりの強みを身に付けて認めてもらいたい、という負けず嫌いな気持ちが私を留学へとかきたてました。

前倒しの発想と、自分を満たすことで実現させた留学。

―お子さんを育てながらの仕事に加えて留学のための準備は相当大変だったのではないかと想像できます。留学のためのモチベーションはどのように維持し続けたのでしょうか?

「認めてもらいたい」という気持ちが発奮材料ではありましたが、それを維持するためにギリギリ型人間である自分の性格を上手く利用しました。締め切りを前倒しにしてセッティングするのです。私が留学を思い立ったのは6月。ハーバードの受験締切はその年の12月でした。通常であれば受験を1年半後に設定して準備をするのでしょうが、私は「今年の12月に受験する」と半年後に締め切りを設定しました。時間を短く設定することでおしりに火をつけ、やる気を出すのです。また、自分を奮起させられるものを見つけることも重要です。私は手帳に「来年ハーバードに留学する!」と書き出し、本で見つけた自分を鼓舞させる言葉を片っ端から書いていきました。時には「家族に●●をしてあげた」「喜ばせることが出来た」など小さなことでも自分を認める言葉を書きました。もちろん、この方法が唯一の方法ではありませんので、聴覚優位の人であれば好きな音楽を聴いたり、視覚優位の人であれば美しい絵を見たり、マインドマップを描いたりすることも有効だと思います。

何より、時間が限られた中での留学準備でしたから、タイムマネジメントの方法も変えました。それまでは、「子どもと一緒にいる時間が短くて申し訳ない」と考え、何とか夫婦だけでやろうとしていたものを、外部のサポーターに頼ることにしたのです。食事の準備や掃除は自分よりも得意な人に頼む方がいい。そのかわり、保育園のお迎えから寝るまでの2時間は、子どもの目をしっかり見て話し、子どもと向き合う時間にしました。家事や翌日の準備の片手間に子どもの相手をするよりも、子どもにとって「親が自分だけに注目し割いてくれる時間」と感じてもらうことが大切だと考えたのです。不機嫌な母親が365日24時間向き合うよりも、たとえ時間が短くても満たされた母親と一緒に居る方が、子どもにとってもいいはずです。「あなたのことが大好きで、特別な存在で、あなたがいてくれて私たちは幸せ」ということが子どもに伝わっていれば、子どもは安心し、成長していきます。短くてもいい。同じ5分をイライラするか、大好きと伝えるか。このことがわかってから、とても楽になりました。

助けを求めることは、信頼の証。

―ハーバード大学への留学を通して、どんな気づきがありましたか?

留学している間は収入もありませんし、移民の立場です。医療費も子供を預ける費用も日本とは比べものにならないくらい高額です。そんなシビアな状況で学んだことは「受援力」。助けを得なければとても生きてはいけませんでした。

私たちは人に頼むことが苦手です。オンラインでのつながりが濃くなってきた最近は、特に若い人にとっては直接人に会いに行くということのハードルがものすごく上がっています。しかし、「人に迷惑をかけてはいけない」「子どもがたくさんいるのは自分のせいだから仕方ない」と抱え込んでしまうことは、コミュニケーションにおいて相手との距離を縮めてしまうことにもなります。実際、医療の現場でも「あの人は忙しそう」と自分で抱え込むことで、結果的に患者さんに迷惑をかけてしまうという事例があります。また、やらなくてはならないことが山積みになってしまうと、本当はやりがいのある仕事であってもやらされている感が増長し受け身にもなってしまいます。アメリカでは、この「頼む」コミュニケーションが相手への信頼の証としてとても重要視されており、「あなただからこそ頼みたい」という姿勢は、日本に輸入するものとして一番大切だと感じました。

人に助けを求められない一つの要因として、「断られるのではないか」という不安が先立つことがあります。この点で印象的だったのは、アメリカでは”Don’t take it personally”という言葉がよく使われていたこと。つまり、「あなた自身を否定したいから断るのではないのよ。」と伝えるのです。モノを貸したいけど持っていないから、時間がないから、興味がないからできないのよ、ということです。

もう一つ、断られることはフィードバックであり、自分の経験値をアップさせるものだと考えることも、受援力の大切な要素です。断られることは耳に優しいことばかりではありませんが、現実と理想のギャップを確認することにもつながります。また、相手が断ることにも勇気が必要ですから、それをしてくれたことは信頼の証であり、「正直に断ってくれてありがとう」という気持ちを伝えることで相手との距離がぐんと近づくこともあります。

助けたいと思っている人はたくさんいますし、頼られると嬉しいものです。人は誰かに優しくすることで幸福感や有能感を味わうことが出来ます。こちらから甘えることで相手を幸せにし、コミュニケーションのきっかけやネットワークを自ら作ることができる、と考えるのです。アメリカでは、「自分1人でコツコツ頑張るのは無駄」という考え方が当たり前でした。自分が何を知っているかよりも、誰を知っているかの方がずっと価値が高い、とよく言われました。日本人は様々な能力がとても高いと思いますが、こういう才能あふれる日本人が、ネットワークを通じて他者とコラボレーションしたらもっと社会や世界に貢献することができるのです。

子どもがいるから見つけられた、今の仕事。

―現在は臨床現場から離れて研究の分野でお仕事をされていますが、将来的には臨床現場に戻られるのでしょうか?

子どもが大きくなったら産婦人科医として臨床に戻りたいと考えています。実は、留学を終えて帰国してからもずっと臨床現場への未練は残ったままでした。臨床現場で活躍する医師像に強いこだわりがあって、患者に向き合ってこそやりがいがある仕事が出来る、という想いはずっと拭えないままだったのです。しかし、現実問題として当直もできないし土日の勤務も難しい。現場では時間が減ればせいぜい8割程度の評価しか得られません。それでも、週に1回でもいいから患者を診たいと思い、最初は週に3日、健診のパートの仕事をしていました。現在の職場である国立保健医療科学院に来たのは、9時~17時までのフレックス制であったこと。フルタイムで外勤でなければ子どもを認可保育園に預けることができなかったためです。それでも、最初の頃は患者を診ていない自分を許せず、医師と名乗ることが憚られる想いがありました。

ただ、今は研究という分野にもやりがいを感じ始めています。そもそも、子どもを育てていなかったら研究職に就くことはほぼありませんでしたし、地域の人と接する保健師の方々や学生への研修や、教育の仕事はとても素晴らしいということが分かりました。被災地支援で学んだことを未来につなげるための地域の防災システムの構築は自分にしかできない仕事だと、やっと思えるようになってきました。これまでどの自治体も取り組んでいなかった、災害時に避難所で赤ちゃんや妊婦さんをどう守るか、ということに対して、防災をキーワードに行政や地域、保健医療の担当者たちがつながりはじめています。このような自分にしかできないニッチな分野を見つけられたことが、今の仕事の自信となっています。

子育てとの両立の中で、働く時間が限られると自分の成果や進捗が目に見えないと感じられることもありますが、時間がないからこそ、何が大切かという価値に気が付くこともありますし、優先順位付けや調整能力などのビジネススキルもアップしているはずです。医療の仕事は臨床現場で夜勤もこなすことだけではありません。研究・行政・教育と活躍の場は開かれています。幅広い仕事を経験することで広い視野、大局的で複眼的な思考が身に着くことは確かですし、長期的にみて段々右肩上がりであればいいんだ、ということが今では自信をもって伝えられます。

 

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【プロフィール】

吉田穂波(よしだ・ほなみ)/医師・医学博士・公衆衛生修士

日本で医学教育を修了、聖路加国際病院で臨床研修ののち、名古屋大学大学院医学系研究科で博士号を取得。通常より1年早く学位を取得後ドイツとイギリスで産婦人科及び総合診療の分野で臨床研修を行い、帰国後は産婦人科医療と総合医療両方の視点を持つ新しいスタイルの医師として女性の健康に特化した女性総合外来の立ち上げに携わった。その後女性の健康ケアや女性医療を向上させるためハーバード公衆衛生大学院に留学し公衆衛生修士号を取得し、同大学院のリサーチフェローとして少子化対策に関する政策研究に取り組む。東日本大震災では産婦人科医として妊産婦や新生児の救護に携わる傍ら、災害時の母子保健対策の必要性を感じ、新しい切り口で行った実践研究の成果を、日本のみならず、国際学術大会や米国の学術誌などで発表してきた。現在、医療保健分野の研究・教育施設である国立保健医療科学院において、研究者の育成、災害時の母子保健システムに関する研究、ボトムアップで政策提言ができる環境作り等に貢献している。また、妊産婦救護トレーニング普及、コミュニティ防災事業における助産師との協働、イギリスやアメリカなど諸外国との共同研究や、災害分野の政策提言、ガイドラインの作成に関わるなど国際的に活躍し、世界の母子保健向上に尽力している。4女1男の母。

1998年 三重大学医学部医学科卒 医師
2004年 名古屋大学大学院医学系研究科博士課程修了 医学博士
2010年 ハーバード公衆衛生大学院修了 公衆衛生学修士

【略歴】
1998年 三重大学医学部医学科卒業 聖路加国際病院研修医入職
2000年 聖路加国際病院産婦人科医員
2001年 名古屋大学大学院医学系研究科博士課程入学、分子生物学の研究を始める
2004年 名古屋大学大学院医学系研究科博士課程修了 ドイツ連邦共和国フランクフルト市Gyn.-Team Frankfurt Sud(フランクフルト南女性医療チーム)産婦人科研修
2004年 第一子をフランクフルトで出産。翌年ロンドンへ渡り、The Beechcroft Medical CentreでGPの医療を学ぶ。日本帰国後はウィミンズ・ウェルネス銀座クリニックで日本での女性総合外来の立ち上げに尽力
2006年 第二子を日本で出産。アルテミス宇都宮クリニック産婦人科兼任
2008年 第三子を日本で出産一ヶ月後より米国ハーバード公衆衛生大学院留学。
2010年 ハーバード公衆衛生大学院修士課程修了。公衆衛生修士号取得後、ボストンで第四子出産。安倍フェローとして、同大学院の研究職を得る。日本では日本医療機能評価機構客員研究員、獨協医科大学非常勤講師、こころとからだの元気プラザ非常勤医師、松翁会診療所非常勤医師を兼任
2011年 3月11日の東日本大震災後は日本プライマリ・ケア連合学会の被災地支援派遣医師として石巻地区の妊産婦支援プロジェクトを担当し、地域の母子保健システムのサポートを行う
2012年より国立保健医療科学院 生涯健康研究部 主任研究官
2013年 第五子出産。

 

『「時間がない」から何でもできる!』サンマーク出版、2013年

▼受援力のパンフレットがこちらから無料でダウンロードできます。

http://honami-yoshida.jimdo.com/%E5%8F%97%E6%8F%B4%E5%8A%9B-%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/

 

 

●記事の内容は取材当時の内容であり、現状は異なる可能性がございますので予めご了承ください。

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