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ボランティア

サイト閉鎖のお知らせ

諸般の事情により、2021年5月末日をもちまして「チャンスクリエーター」を閉鎖させていただきます。
これまでのご愛顧に対しまして、スタッフ一同、深く感謝するとともに心より御礼申しあげます。

長らくのご愛顧誠にありがとうございました。

海外の村で見つけた看護の原点ー特定非営利活動法人ジャパンハート 長谷川彩未さん

海外の村で見つけた看護の原点ー特定非営利活動法人ジャパンハート 長谷川彩未さん
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特定非営利活動法人ジャパンハートで事業部長として活動する長谷川彩未さん。2006年に同団体の研修に参加して以来、医療の行き届かない地域の最前線で、国際医療に携わってきた。看護師になってから高いモチベーションを維持し続けてきた彼女であるが、アジアの医療事情に対峙する彼女の目線は、意外にも日本国内の社会問題に向けられていた。

 

特定非営利活動法人ジャパンハート 長谷川彩未さん

特定非営利活動法人ジャパンハート 長谷川彩未さん

【どういうひとたちと一緒に働きたいか】

ー小さい頃から看護師になりたいと思っていましたか?

父が柔道整復師をしていたこともあり、体に不具合を抱える患者さんを治し感謝される仕事につきたいと思っていました。実際に看護師になってからも、その頃の気持ちは忘れていませんでした。また、自分自身が成長し続けられる一番の条件は何かを考え、「どういう人と一緒に働きたいか」という視点を大切に職場を選びました。

学生時代にアルバイトをしていた大学病院に就職しましたが、そこには患者さんにとって何がベストな方法なのかを懸命に考える看護師たちの姿がありました。「私もこの人たちと一緒に働きたい。」それが職場を決めた理由です。私はその病院には3年間勤めましたが、周囲に恵まれのびのびと看護をすることができました。自分は周りに流されやすいと分かっていたので、どういう場所に身を置けば流されないのか。それを無意識に考えていたのだと思います。一緒に働く人のモチベーションが高ければ自分のモチベーションも維持できる。それはこのジャパンハートも同じです。

 

【小さな一歩が道を拓く】

ージャパンハートに参加したきっかけも、そのモチベーションの高さの延長にあったのですか?

病院に3年勤務し、一通りのことができるようになるにつれて、自分の将来について考えるようになりました。後輩を育て、ポジションが上がり、興味のある分野の専門看護師をとる・・。それで自分は満足するのかと考えるようになりました。自分自身に自信がなかったのです。

実は、看護学校の1年と2年の春休みに、学校のプロジェクトで1ヶ月ほどマレーシアにボランティアに行きました。そこで目にした惨状は今でも脳裏に焼き付いています。病院の前にできた100メートルもの列には、倒れたり痙攣を起こし口から泡をはいている患者もいました。みんな順番に並んでいるはずなのに、病院から出てくるスタッフが連れて行くのは、なぜか列の途中の人。今になって気づくのは、お金がない人は医療を受けられないということです。日本であれば病院が遠いということはあっても、医療自体にアクセスできないということはない。偶然生まれた国によってこんなにも運命が違うのかということに居ても立ってもいられない気持ちになったことを覚えています。自分の将来を考えたとき、その光景が蘇ったのです。

当時は数年国際医療に携わりたいと思った場合、日本で勤めている病院を辞めなければなりませんでした。これは無収入になることを意味します。しかし私はお金がたまっても自信がない自分よりも、収入がなくなっても自分に何か自信を持ちたい。その一心で思い切って一歩を踏み出しました。

 

【生活と医療が密接な関係にあるミャンマー】

ー長谷川さんは1年目からミャンマーに行かれたとのことですが、ジャパンハートの看護師として
国際医療に携わるのは、学生時代に参加したボランティアとは全く違いましたか?

全く違いましたね。実際に自分が看護師として医療に携わることは、まずはその国の状況や患者さんの生活を知らなければなりません。ミャンマーのような医療保険がない国では医療費が非常に高額ですので、病院に行くことは一大事。当然、退院が一日遅れると費用もかさみます。一大決心をして来た患者さんを迎え、最大限の知識・技術を活かして一日でも早く家に帰れるように工夫しながら看護を行います。自分が患者さんの生活を請け負っているという感覚がすぐに出てきました。

ただ、「患者さんの生活を見ましょう」とか「患者さんの人を見ましょう」というのは日本の看護学校でもよく教えられることですが、何となく理解はするものの実際に看護師になって働いているとついつい忘れがちになってしまいます。しかし、ミャンマーという国ではそのことを強く感じて看護をしなければならない環境でした。ミャンマーでは病院で亡くなった場合、村には帰れないという風習がありますので自分たちの無力さを感じながらも、「村に帰りたい」という患者さんは、早めに村に帰すようにします。

 

【国際医療に携わることは、自分の使命】

ージャパンハートに参加して、内面の自信はつきましたか?

今は自分自身の強みや弱みがわかり、少し自信がついたと思います。また、国際医療に携わるということを自分のライフワークとして確信を持てるようになりました。ミャンマーという日本と全く違う環境で揉まれて、葛藤の日々を過ごすことで自分の中にまっすぐ軸が通ったような感じはしています。ミャンマーでは日本には当たり前にある機械や器具がなかったり、あっても質が悪かったりします。停電もほぼ毎日起こります。このような環境なので、日本での経験年数はあまり関係ないと思っています。

私が小さい頃、テレビを見ながら父に「私は将来、こういうところで働いていると思う」と言っていたそうです。その頃から自分の将来を何となく予感していたのかなと思います。漠然とはしていますが、これが自分の「使命」と今は自信を持って言えます。

 

【海外の医療を通して日本を知る】

ー今後も国際医療に関わっていく中で、大きな目標はありますか?

ジャパンハートに入ってから思ってきたことは、私は現地の人たちのためという以上に、自分自身のため、そして日本のため、と考えることがあります。医療支援自体は成果が見えやすいという点では保健衛生活動などに比べて非常にわかりやすいのです。日本の医療者の資格さえ持っていれば十分現地に貢献することができます。

私は8年ほどジャパンハートの国際医療現場で看護師を続けてきて、現地人の看護師・医師と触れ合う機会が多いのですが、彼らは日本の医療は高度でレベルが高いと思っています。それはその通りです。一方で、日本の社会問題としての病院のたらい回し、親が子を、子が親を殺すということ、お年寄りの孤独死、核家族化問題。高度な医療の裏側では、そういう問題が起きているということを彼らはあまり知りません。ミャンマーでは隣人の顔を知らないということ
がまずあり得ません。自分の子どもがそばにいなくても誰かが見てくれているだろう、とお母さんたちは安心しきっています。夕方になると村の人がお母さんの元に子供を送り届けてくれ、「元気に過ごしていたよ」「ありがとう」という会話が自然に成り立ちます。昔日本にもあった村落共同体が存在しているのですね。病院にも誰が病人がわからないくらい、患者と一緒に家族やら親戚が付き添ってきます。日本の医療機関で働いてきて見失った原点や日本の良さを、海外の貧しい国での経験を経ることでわかってくることもあります。

人間はずっと同じ環境にいると、そこに慣れてしまって感覚が鈍化してきます。だからこそ、短期的でもいいので、自分のいる環境を少し変えてみるということも大切なことなのかもしれないと思っています。

私の所属している国際医療ボランティア団体ジャパンハートでは、現地での医療活動に短期ボランティアとして参加することもできます。そこで感じ学んだことをそれぞれ日本に戻って取り入れることで、少しずつ自分自身や周辺が変化し、ゆくゆくは日本が変わっていく。時間はかかるかもしれませんが、私はこのような視点を大事に、これからも自分磨きをしてきたいと考えています。

 

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【プロフィール】
長谷川彩未(はせがわ・あやみ)/特定非営利活動法人 ジャパンハート

2006年、吉岡秀人率いる国際医療ボランティア団体「ジャパンハート」の海外研修に参加。ミャンマーにて過酷な現地の医療状況と対峙し、医療に従事する者としての責務を知る。その後、正式に入職し、現在は海外事業部長に着任。バンコクに駐在しつつ、ミャンマー、カンボジア、ラオス、日本を飛び回り、各地の活動を統括している。

●特定非営利活動法人ジャパンハート 公式ホームページ
http://www.japanheart.org/

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●記事の内容は取材当時の内容であり、現状は異なる可能性がございますので予めご了承ください。

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