Toggle

海外で働く

サイト閉鎖のお知らせ

諸般の事情により、2021年5月末日をもちまして「チャンスクリエーター」を閉鎖させていただきます。
これまでのご愛顧に対しまして、スタッフ一同、深く感謝するとともに心より御礼申しあげます。

長らくのご愛顧誠にありがとうございました。

【異国の地で、未来の看護師に日本語を伝えたい。ー森早紀子さん】

【異国の地で、未来の看護師に日本語を伝えたい。ー森早紀子さん】
Pocket

経済連携協定(EPA)に基づき、インドネシアやフィリピン、ベトナムから外国人看護師・介護福祉士の候補者を受け入れる政策が数年前から始まっている。しかし、言葉の壁は想像以上に高く、試験の合格率が低迷しているという。

このような状況を打開する施策の一つとして、日本から現地に日本語教師を派遣し、まずは語学を習得させると試みが進んでいる。森 早紀子さんは、看護師でありながら、2014年1月からベトナムに赴任し、1年間の期限付きで未来の看護師となる人たちに日本語を教える。看護師と日本語教師の二つのキャリアを実現した彼女のキャリアは、葛藤の連続、そして決して葛藤することから逃げない姿勢が築いたものだった。

 

森 早紀子さん

森 早紀子さん

【突き進んだ5年間。働かないと決めた1年間。新しい看護を経験した2年間。】

 

―看護師になられたきっかけを教えて下さい。

自立していて、人の役に立つ仕事を選択したかったということと、母から「手に職をつけなさい」と言われていたので、看護師が合致すると考えたためです。母は、結婚して出産して家庭を築くことが女性の幸せと考えられていた時代を生きてきたので、自分の子どもには好きな仕事を続けられる生き方を望んでいました。継続するには手に職をつけている方が良い。そういう考えも影響しています。

―実際に看護師になられてからの経歴を教えて下さい。

看護学校を卒業してからは兵庫県内の大学病院の消化器内科病棟に5年間勤務しました。最初の2年間はとにかく忙しく、日勤と夜勤の間にお風呂や食事にほんの少しの時間、家に帰るだけ。余裕もなく、プライベートな時間を過ごすこともほとんどありませんでした。3年目になってようやく少し余裕を持てるようになりましたが、その頃は既に新人ではありませんので、リーダーとして責任のある仕事も出てきましたし、会議や勉強会など、別のことで時間を取られていくことも増えていきました。

このまま看護師としてのキャリアを積んでいくことも周囲からは進められましたが、仕事だけの人生になるのではないか?という不安もありました。ですので、自分である程度のことはできるようになった5年目に、一度区切りをつけてみようと勤めていた病院を退職しました。

退職後はそれまでの5年間の反動のように「働かない1年を過ごす」ことを目標としました。1年間、お金が無くなるまでニュージーランドで過ごします。

稼がないと当然、貯金も底をつきます。帰国する必要性に迫られ、再度仕事をしなくてはならなくなりました。それと同時に、1年間、看護師という仕事から離れてみて「もう一度やってみたい」と感じたことも事実でした。せっかく取得した資格、5年間の臨床経験を無駄にしたくなかったのです。

帰国後の目標は「働きながら旅行する」に変わりました。石垣島で約2年間、僻地医療に携わります。僻地医療といっても、島の大きな中核病院にいましたので、テレビなどで特集される「僻地医療」とは少し違います。とはいえ、離島ですので交通手段は限られています。フェリーも飛行機も天候によっては運行しませんし、本島の病院へは場合によってはドクターヘリで移動することもあります。

ここでの2年間は、大学病院での勤務と比べ看護師としての仕事も全く違いました。大学病院は各科目が独立して専門性が保たれていますが、石垣島では「なんでも来い」という状態です。療養も急性期もすべて受け入れます。医師と看護師の役割も明確に分断されているわけではなく、チーム医療として成り立っていますので看護師として関わる範囲が広いのです。どちらが良い、悪いではなく、看護師としてこの2つの働き方を経験できたことは幸運でした。

とはいえ、2年間で「働きながら旅行する」という目標を達成してしまい、次の明確な目標を持てないでいました。そのときに、かつてニュージーランドにいた時に出会った日本語教師という職業を思い出したのです。

 

【日本語教師という職業への一歩を踏み出す。】

―ニュージーランドでの経験から、日本語教師という職業へ挑戦しようと思ったのですか?

すぐに職業に結び付けようとは考えていませんでした。実際に生活してみて海外への興味は持っていましたし、せっかく英語に触れたのだから、仕事に結びつくかどうかは別としてきちんと勉強してみたいと思いました。同時に、ニュージーランドで出会った人たちは本当に多様な生き方をしていました。だから、自分もやってみたい生き方をすればいいんじゃないかと刺激を受けていたこともあります。

―看護師としてのキャリアはストップしたのですか?

生活の基盤は築かなくてはなりませんので、看護師としての仕事を続けながら、勤務後に養成講座に通いました。ただし、学校で勉強したからといって実践力が身につくものではありません。日本語教師として生活を成り立たせられるか正直、わかりませんでしたが、せっかく学んだのだから日本語教師としての就職活動もしてみよう、という気持ちで履歴書を送りました。

―就職先はすぐに見つかりましたか?

元々、絶対数が少ない職業ですし、経験者を優遇するところがほとんどです。私は幸いにも最初に履歴書を送った学校で採用が決定しましたが、通常は数多く送っても1つ2つ、反応があれば良い方と聞きます。

就職後は、研修を経て週1回の講義が週2回に増え、それから担任として学生を受け持つことになりました。最初の頃は週に1回でも、授業にあたってどんな順番で講義をするのかシナリオを書き、プリントや宿題も手作りですので徹夜で準備をしていました。また、生活を安定させるために週に2~3回は派遣看護師の仕事もしていたので、自分の能力で睡眠時間が決まる。そんな生活が辛いと感じることも正直ありました。

それでも、収入確保の方法を看護師一本に絞らなかったのは、やはり日本語教師の仕事が面白かったから。日本に興味があって色んな国から集まってきている学生たちは本当にたくさんのことを教えてくれますし、彼ら彼女らとのコミュニケーションが心底楽しかったのです。

 

【将来への不安は自分のバランスの取り方で解消する。】

―二つの仕事を掛け持ちする生活に、将来への不安はなかったのですか?

もちろんありましたし、今でもあります。看護師の仕事も日本語教師の仕事も楽しいですしやりがいもありますが、一方で二つの職業を抱えることの中途半場さやデメリットも感じています。これからどうしていくのか、きちんと悩まないといけないということは考えています。

ただ、この悩みは、「仕事のバランス」を考えることで解消される部分もありました。たとえば、経済的な不安定さは看護師としての仕事を増やすことで収入が安定すれば解消されます。どちらか一方の仕事だけを選べないのなら、自分なりのバランスのとり方を模索した方が良いと思っています。今も、将来も、このバランスを取れるか。その葛藤だと思っています。

 

新たな目標を笑顔で語ってくれた。

新たな目標を笑顔で語ってくれた。

【これから始まる、異国のステージでの新たな挑戦。】

2014年の1月から、将来日本で看護師・介護士を目指す人たちへの日本語教育を目的として現地での生活を開始されるのですよね?これまで日本国内で教えるのと、どんな違いが想定されますか?

今回の仕事は以前、同じ法人の日本語学校で一緒に働いていた方からいただきました。一度はお断りしたものの、周囲の理解や後押しもあり、挑戦してみようと心に決めました。

これまでは日本に興味があって積極的に学びに来る学生を相手に日本で教えていたので、ある意味やりやすい部分はありました。ベトナムでは、あくまでも医療者として仕事をするうえで必要な日本語を、日本の文化を知らない、日本に行ったことのない人たちに教えるので、これまでの方法が通用するのか?という不安はあります。「こういうことを少しは知っているでしょ?」という前提が全く通用しないところからのスタートになります。さらに、モノの流通事情が異なりますので、「こういう教材がほしい」となったときに、すぐに手に入らないなどのことも考えられます。

とはいえ、1年という期限が決められているので、「次の新たな目標ができた」と前向きに捉えています。

 

―ご自分で目標を設定し、クリアしたらまた次の目標を見つける。その繰り返しをご自分で作り出しているからこそ、葛藤も多いと思います。最後に、自分のやりたいことに一歩を踏み出せないでいる人に、メッセージをお願いします。

私は自分のやりたいこと、興味のあることをずっとやってきました。それは、人とのコミュニケーションの中で誰かの役に立つこと。看護師の仕事もそうです。過剰な支援はできないし、必要ないと思っていますが、その人が置かれている状況で必要なことをサポートしたり、その人が走り出せるようなアドバイスをしたり。こういうことで、結果的に自分自身が救われているということに気が付きます。

私は看護師という職業だけを追求してきたのではありませんが、医療の外側に一歩出ることでわかったことがたくさんあります。その道で食べていけるかどうかではなく、自分の世界を広げてみるいいきっかけになります。目の前にあることを一生懸命やることも大事ですが、外の世界に目を向けることが、結果として今の仕事にいい影響を与えることもあります。

試行錯誤を繰り返す中で、先ほど述べた「バランスの取り方」がやっとわかってきた気がします。何年後にどうなっているかはわかりませんが、新しい道に踏み込むことでまた新たな目標を見つけることー。これが今の私の目標です。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【プロフィール】
森 早紀子(もり さきこ) 外国人向けの日本語教師、看護師

大学病院(消化器内科病棟)に5年間勤務後、海外に行き、現地で日本語教師という職業を知る。帰国後、離島での医療を経験。その後6年間、看護師と二足の草鞋をはきながら、日本語教師として外国人に日本語を教える。2014年からベトナムに赴任し、未来の看護師・介護士となる人たちに、日本語を伝えに行く。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●記事の内容は取材当時の内容であり、現状は異なる可能性がございますので予めご了承ください。

Return Top