Toggle

ボランティア

サイト閉鎖のお知らせ

諸般の事情により、2021年5月末日をもちまして「チャンスクリエーター」を閉鎖させていただきます。
これまでのご愛顧に対しまして、スタッフ一同、深く感謝するとともに心より御礼申しあげます。

長らくのご愛顧誠にありがとうございました。

看護師が仏教から学ぶこと。―宮島幸代さん

看護師が仏教から学ぶこと。―宮島幸代さん
Pocket

最近、宗教を学ぶ医療関係者が増えているという。「医療」という徹底して科学的根拠を求める行為と、目に見えない「宗教」。一見、対極に存在しているように見える両者にはどのような関わりがあるのか。

今回お話を伺った宮島幸代さんも、看護師として働く中で仏教を学ぶために大学へ進学した経歴を持つ。在家の僧として活動するボランティアを中心とした生活ではあるが、20年以上続けてきた看護師の仕事も決して辞めない。「昔から、これを突き詰めたい!と強い信念をもって挑んできたということはない。」という宮島さんだが、客観的な状況から自分を「自覚する」ことは忘れない。

看護師と僧。両者の関わりや共通点はどのようなものか。

 

宮島幸代さん

宮島幸代さん

 

「私は人間らしくない」―仕事に慣れてきた頃に気付いたこと。

―宮島さんが看護師になられたきっかけ、さらには新たに仏教の道に入ろうと思われたきっかけを教えて下さい。

高校生の頃、進路を決める際に理学療法士になることを考えていました。ただ、当時は今ほどリハビリなどがメジャーではなく、勉強できる学校も少なかったため倍率はとても高かったのです。そこで先生に「看護学校に行くという方法もあるのでは?」とアドバイスされたことと、ちょうど仲が良かった友達も看護学校に行くと言っていたので決めました。看護師に憧れていたとか、どうしても看護師になりたいという強い気持ちがあったわけではありません。

看護学校を卒業して働き始めて経験を積むと、新しい後輩がどんどん入ってきます。ある時、新人の一人が初めての夜勤だったのですが、患者さんが急変して亡くなってしまいました。彼女が泣いてしまう一方で、私はマニュアル的に淡々と仕事をしていました。その時、「私は人間らしくない」と思ってしまったのです。看護師としてやるべきことは大事だけど、置き去りになっている何かがあるような気がしました。そこで、一度看護師を辞める決意をします。

辞めてから、私が患者さんの死に直面しても淡々と仕事をこなしている自分に引っ掛かりを感じた理由をよく考えてみました。悲しい別れや、色んな死に方がなぜあるのか。老年看護や終末期医療に関わることで、死にたくない人が死ぬこと、そこから神様は不平等だと思う人がいることに触れます。その中で自分が何をできるのかを突き詰めると、仏教に思い至りました。自分が納得したい、自分の精神面の興味を満たしたいという欲求に突き動かされたような気がします。当時はちょうど、病院で死ぬことへの疑問や、その人らしい最期の迎え方などを取り上げられるようになってきた社会的背景もあり、入学した大学では、僧になるコースでグリーフケアや終末期に関することを学ぶ機会もありました。看護師として患者さんに向き合ってきたことや得意なことを活かそうとカウンセリングについても勉強を始めました。

 

大学で新たに仏教を学ぶ。

大学で新たに仏教を学ぶ。

―実際に勉強してみて、宮島さんが看護師として感じた疑問を解消することはできたのですか?

人はなぜ死ぬのかという疑問に対する明確な回答も、死後の世界がどのようなものかを知ることも、それらを得ることを目的としていたわけではありません。ただ、「今ここにいる自分」を感じられるようになりました。死んだら悲しいけど、今この瞬間は生きている。話をしている、コーヒーを飲んでいる、痛みを感じている。そういうことを意識できるようになりました。病気で、余命わずかであっても、その人自身が何を望んでいるのか、それをすり合わせていくということがカウンセリングに求められる役割です。「死」という言葉だけを受け入れるのではなく、その方がどうありたいのかを知る機会をつくることはとても重要です。

この死の受け入れ方には、日本と欧米で大きな違いが見られます。たとえば、欧米では「人は必ず死ぬ」ということをもっとストレートに受け入れられていると思います。癌の告知や余命宣告にしてもまずは本人に伝え、それから本人が家族に伝えます。日本だとこれが逆ですよね。家族が本人に伝えるか伝えないかを判断する。でも、死は家族ではなく本人の問題です。本人が受け入れられるか否かで、その後の生き方も変わってきます。

もう一つ、仏教を学んで興味深かったことは、欧米の看護論と類似している点が多くあったことです。仏教には『看病用心鈔』という病人を看病する際の心得を記したものがあります。その中の記述と、おそらくキリスト教の影響を受けているだろう人たちが書いた看護論には、人の見送り方などいくつも該当する共通点があります。

 

看護師、僧、ボランティア。すべてをひっくるめて私。

―ボランティアではどのような活動をされているのでしょうか?

 東北の被災地のお寺、関西のお寺に月に数回のペースでお話会に参加させていただいています。檀家さんや地域の方が集まって他愛のない話をするだけです。今、日本は高齢化社会を進んでいて、高齢者夫婦が二人で暮らしているという世帯がとても多いのです。毎日一緒にいる夫婦のうち、一人のパートナーが亡くなると、その悲しみは計り知れないほど大きいなものです。でも、お寺に来て皆で話すことで悲しみがまぎれるだけではなく、「来月もまた来ようね」と元気になって帰ってくれます。

これまでお話をするだけの会だったのですが、私が医療に関わっていることもあり、今後は参加者の皆がエンディングノートを書くことも検討しています。自分が死ぬときのことを考えるのはそれこそ「縁起でもない」ことかもしれませんが、「今、自分はこう思っている。こうありたい。」ということを記しておくことはとても大切なことです。

 

―宮島さんは今後も看護師としての仕事は続けていくのでしょうか?

興味がわけばそちらに向かう、ということを繰り返してきたので、そのことを突き詰めることも必要なのでしょうが、看護師の仕事をこれからも辞めるつもりはありません。自分の生活の中の物理的な時間は減るかもしれないけど、看護師は続けるつもりです。何より、看護師の仕事が好きなのです。仏教を学んでも、ボランティア活動をしても、その場に看護師である私が立っていることがとてもしっくりときます。看護師、僧、カウンセラー・セラピー、ボランティア。それらすべてをひっくるめて自分なんだという感覚があります。

これまで病院での勤務経験しかありませんでしたが、少し前から老健で働いています。勤めてみて病院との違いは大きいと感じています。病院は病気を治療するところ、施設はあくまでも生活の場です。「一緒に生活をしている」という感覚は病院では決して味わえないですし、利用している高齢者の方をとても尊く思います。

興味の向くままに進んできましたが、バラバラに行っている活動を今後は何かしら一つの形にまとめたいと思っています。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【プロフィール】

宮島幸代(みやじま・さちよ)

心理セラピスト、米国NLP 協会認定トレーナー、オーラソーマ プラクティショナー

高校卒業後、看護学校へ進学。病院にて、看護業務、その時に終末期医療・グリーフケアを学ぶ。10年看護師を経験した頃、仏教を勉強するために佛教大学(通信)に進学。卒業と同時に僧侶の過程も修了する。その後、カウンセリングの勉強を本学的に勉強し、2011年NLPトレーナーとなる。現在は、カウンセラー・セラピスト(ヒーリングセラピールーム・Lapis-prayer  http://www.lapis-prayer.sakura.ne.jp/)僧侶。そして、看護師を続けている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●記事の内容は取材当時の内容であり、現状は異なる可能性がございますので予めご了承ください。

COMMENTS & TRACKBACKS

  • Comments ( 1 )
  • Trackbacks ( 0 )
  1. By 山田典子

    人生を積み上げて来られたご様子が大変興味深く、お話を伺いたいと思いました。

Return Top